子どもの足跡プロジェクトの背景
《生い立ち》
 

プロジェクト“The Trace of Walking”は1997年に生まれました。その年、私はイタリアのモンテマルチェッロ市アメーリア村で、個展“黄金の日”の制作に取り掛かっていました。この展覧会で私は、庭園に7つのインスタレーションの設置を考えており、その7番目の作品が、既に存在する土の道に、子供の足跡のついたテラコッタを敷き詰めるものでした。

足跡設置のための道をつくるために、長らく掘っていると、偶然、いくつかの砲弾を発見したのです。砲弾がどこから来たのか少し調べたところ、この土地の悲劇的な過去を知ることになりました。アメーリア村は、第2次世界大戦で空襲に遭い、多くの人が命を落としました。海に面したこの村は、軍事基地のある重要な港が2つも近くにあったったため、このような被害に遭ったのです。さらに詳しい調査した後に、私は、この作品の規模を拡大して、平和プロジェクトにすることを決意しました。

そして、個展のオープニングに、このプロジェクトの立ち上げをプレス関係者に発表しました。(1999年 H.Golba)

 
 
《プロジェクトの教育的な想い》
 

我々は新しい時代にいます。社会は、ますます多様な文化の色彩に染まっていくことでしょう。言語、民族、種族、宗教は、人類の大河に流れる多数の小川のようなもので、“混ざり合っていく”必要があります。

「我々の子供たちや孫たちが明るく平和に共存するためには、どのようなことができるか」と自問したときに、彼らに「差異の価値」を教える他に、道はないと考えます。

それにはまず始めに、我々自身が多文化社会への共存に対して、自覚ある情熱を持つことが肝心です。

その意志は、経済やマテリアル、政治的なイデオロギー、宗教的な活動や言語の広がり、といった便宜的な計算に基づいたものであっては、いけません。我々が情熱の魔法的な力を身につけ、各々の心と脳裏に多彩な庭園を描くことが必要です。

我々の祖先は、自然を模倣し、庭園を作りました。幸福に生きるには、自然を模倣し続けることです。我々大人が、このようなクオリティーに到達するには、子供たちのように、柔軟性と流動性を持つことが大切です。我々の中に、かつてあった子供心が死んでしまっていては、子供たちと一緒に作業をしていても、乾いた植物がまた、芽生えてしまうのではないでしょうか。

《何をするの? どのようにするの?》
  ペルシャの神秘主義の詩人、ルーミーは、このように言っています。
「子供たちと何かするときは、子供たちの言語を使ってコミュニケーションしなさい」
子供たちの最初の言語は、遊びです。子供たちは遊びを通じて、言語や個性や臆病な気持ちといった障害を乗り越えます。
我々のプロジェクトにおいても、子供たちには、遊びの自由を十分に、与えなければなりません。彼ら自身が勝手にどのように遊ぶかを決めるでしょう。子供たちの足跡を取るセレモニーは、遊びと娯楽の精神がなければなりません。このセレモニーは、何日間かに分かけて行われ、楽しいイヴェントと多様なワークショップの組み合わせでおこなわれる必要があります。
 
《プロジェクトの審美的な追究とその実現》
  もし世界に芸術作品の傑作があるならば、それを創った芸術家の名前を覚えているだけでは、十分ではありません。傑作が誕生した背景には、腕のよい職人やパトロンなどの協力がありました。いい考えも悪い形で実現すれば、あまり価値はありません。それは、まるで音楽作品の傑作が下手に演奏されるのと同じです。プロジェクト"The Trace of Walking " の実現には、経験豊富で審美的な知を兼ね備えた本物の職人たちの協力が、非常に重要です。
足跡のついたひとつひとつの粘土板は、ティーセレモニーの聖なる器のように考えられなければなりません。即ち、このプロジェクトの実現には、経験と技術的能力、そして内なる豊かさを兼ね備え、その上、聖なる土と木材と炎を尊敬する、職人の協力が必要なのです。
 
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